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岩田康誠騎手/秋華賞 Part1 『ローズSは、めっちゃ緊張した』
2012年10月11日(木)12時00分
- 注目数:5人
メジロラモーヌ、スティルインラブ、アパパネ。長い歴史のなかで、いまだ3頭しか到達していない『牝馬3冠』の頂。そして今週、史上4頭目を目指して、ジェンティルドンナが淀のターフに降り立つ。手綱を取るのは、今年GIで早くも4勝を挙げている、絶好調男・岩田康誠。はたして、歴史の扉は開くのか──主戦の手応えを探った。(取材:不破由妃子)
いよいよ今週、2010年のアパパネ以来、史上4頭目の牝馬3冠に挑むジェンティルドンナ。鞍上は、この春にダービージョッキーとなり、秋のGIシリーズ開幕戦・スプリンターズSでも、ロードカナロアで女王カレンチャンを撃破した岩田康誠だ。それらを含め、今年はフェブラリーS、桜花賞など、すべて違う馬でGIを4勝。ジョッキーとして、まさに絶頂期を迎えている男である。
今回の取材でも、開口一番、
「無駄なことを考えずに、普通に乗れば普通に結果が出る。この馬に関しては、そんなに深いことを話す必要がないでしょ。と、思うんですけど、どうですか(笑)?」
と、3冠の可能性について、「説明不要」と言わんばかり。が、前走ローズSの内容を思えば、岩田の言葉にもうなづける。
好スタートから2番手に付けると、終始手応え十分に立ち回って、1馬身半差の完勝。春の好敵手ヴィルシーナらを相手に、最後は手綱を抑える余裕まで見せた。
「あれでも抜け出してから遊んでいたからね。でも、ああいうレースもできないとアカンやろうし、とにかく次につながるレースを、と思って乗りました」
次なる舞台は、内回りで枠順の有利不利が大きく、勝負どころでゴチャつきやすいとされる京都の内回り、2000m。これまで幾多の名牝たちが、ハイペースに巻き込まれて失速、あるいは追い込んで届かずなど、力を出し切れずに終わった舞台である。
「ああ、動くに動けない展開とかね。ブエナビスタもそうやったな(追い込んで2着入線、3着降着)。でも、ジェンティルドンナは、そういう(動くに動けないような)位置にいないと競馬ができないわけではなく、横綱相撲ができる馬なので。ローズSは、2番手からでもいいし、ハナでもいいと思ってた。前に行く競馬を試すっていうより、どういうレースでもできるっていうことをみんなに見せるレースだったから。桜花賞、オークスは後方からやったけど、この馬はどこからでもいけるんやでってね」
なるほどローズSは、馬の自在性を確かめると同時に、ライバル陣営をけん制する競馬でもあったのか。たしかにこれで、「ジェンティルドンナは後ろから」という大方の予想は、煙に巻かれたことになる。春とは違う競馬で結果を出したことで、パートナーへの信頼がより確実なものになったローズS。しかし、岩田にとっては、ある意味賭けでもあった。
「ローズSはね、めっちゃ緊張した(苦笑)。負けられないレースやったし、ここでどういう競馬をするかで秋が決まると思ってたから」
夏を順調に越して、秋初戦も理想的な形でクリアしたジェンティルドンナ。デビュー当初は、折り合い面に課題があるといわれていたが、今ではその課題も十分許容範囲に。4戦目のチューリップ賞からコンビを組んでいる岩田だが、彼の実感としては「それほど折り合いに苦労したことはない」という。
「シンザン記念(1着)のとき、まさか自分に回ってくるとは思わずに“この馬、走るなぁ”と思って見てたんやけどね(岩田は2着のマイネルアトラクトに騎乗)。で、騎乗させてもらえることになって、チューリップ賞の前に初めて乗ったんやけど、当時からすごく乗りやすい印象でした。ただ、そのときは熱発明けでね。実際、状態ももうひとつで、半信半疑だったんやけど、レースではあそこまで(勝ったハナズゴールからコンマ6秒差の4着)食い下がってくれて。道中も乗りやすかったし、これは桜花賞でも勝負になるなと」
その桜花賞は、好スタートからスッと押さえて後方。道中の折り合いも良く、最後は前を行く馬を計ったように差し切った。岩田のいう“乗りやすさ”が、存分に発揮されたレースだったといっていい。
思えば桜花賞には、のちに骨折で戦線離脱となるが、ジョワドヴィーヴル(6着)という強敵がいた。当時、ライバルとの力関係はどう計っていたのか。
「ジョワドのこともずっと見ていたから、あの馬の強さもわかっていた。でも、そのうえで、まず負けないだろうと。ジェンティルは乗りやすいこともあって、俺自身“負けたらしゃーない”くらいの強い気持ちで乗れたし、実際、馬も六分らいの完成度で、あれだけのパフォーマンスを見せてくれたからね。改めて、強さを確認できたレースやった」(Part2につづく・文中敬称略)
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【岩田康誠】
1974年3月12日生まれ、兵庫県出身。91年に公営・兵庫競馬から騎手デビュー。現在JRA所属の小牧騎手とは兵庫時代のライバルで、ツートップとして活躍。96年にケイエスヨシゼンでアラブ三冠達成。05年には鉄人・佐々木竹見につぐ史上2番目の早さで通算3000勝達成するなど、数々の記録を打ち立てた。06年に中央移籍。以降、07年の宝塚記念(アドマイヤムーン)、08年の安田記念(ウオッカ)など、多くのGI勝利を重ねる。12年、日本ダービーをディープブリランテで制し、悲願のダービータイトルを手にした。
ロードカナロアで制したスプリンターズS
今回の取材でも、開口一番、
「無駄なことを考えずに、普通に乗れば普通に結果が出る。この馬に関しては、そんなに深いことを話す必要がないでしょ。と、思うんですけど、どうですか(笑)?」
と、3冠の可能性について、「説明不要」と言わんばかり。が、前走ローズSの内容を思えば、岩田の言葉にもうなづける。
好スタートから2番手に付けると、終始手応え十分に立ち回って、1馬身半差の完勝。春の好敵手ヴィルシーナらを相手に、最後は手綱を抑える余裕まで見せた。
「あれでも抜け出してから遊んでいたからね。でも、ああいうレースもできないとアカンやろうし、とにかく次につながるレースを、と思って乗りました」
次なる舞台は、内回りで枠順の有利不利が大きく、勝負どころでゴチャつきやすいとされる京都の内回り、2000m。これまで幾多の名牝たちが、ハイペースに巻き込まれて失速、あるいは追い込んで届かずなど、力を出し切れずに終わった舞台である。
ローズSはみんなに見せるレースだった
なるほどローズSは、馬の自在性を確かめると同時に、ライバル陣営をけん制する競馬でもあったのか。たしかにこれで、「ジェンティルドンナは後ろから」という大方の予想は、煙に巻かれたことになる。春とは違う競馬で結果を出したことで、パートナーへの信頼がより確実なものになったローズS。しかし、岩田にとっては、ある意味賭けでもあった。
「ローズSはね、めっちゃ緊張した(苦笑)。負けられないレースやったし、ここでどういう競馬をするかで秋が決まると思ってたから」
夏を順調に越して、秋初戦も理想的な形でクリアしたジェンティルドンナ。デビュー当初は、折り合い面に課題があるといわれていたが、今ではその課題も十分許容範囲に。4戦目のチューリップ賞からコンビを組んでいる岩田だが、彼の実感としては「それほど折り合いに苦労したことはない」という。
「シンザン記念(1着)のとき、まさか自分に回ってくるとは思わずに“この馬、走るなぁ”と思って見てたんやけどね(岩田は2着のマイネルアトラクトに騎乗)。で、騎乗させてもらえることになって、チューリップ賞の前に初めて乗ったんやけど、当時からすごく乗りやすい印象でした。ただ、そのときは熱発明けでね。実際、状態ももうひとつで、半信半疑だったんやけど、レースではあそこまで(勝ったハナズゴールからコンマ6秒差の4着)食い下がってくれて。道中も乗りやすかったし、これは桜花賞でも勝負になるなと」
桜花賞で一冠目を奪取
思えば桜花賞には、のちに骨折で戦線離脱となるが、ジョワドヴィーヴル(6着)という強敵がいた。当時、ライバルとの力関係はどう計っていたのか。
「ジョワドのこともずっと見ていたから、あの馬の強さもわかっていた。でも、そのうえで、まず負けないだろうと。ジェンティルは乗りやすいこともあって、俺自身“負けたらしゃーない”くらいの強い気持ちで乗れたし、実際、馬も六分らいの完成度で、あれだけのパフォーマンスを見せてくれたからね。改めて、強さを確認できたレースやった」(Part2につづく・文中敬称略)
Part2以降をご覧頂くには、『netkeiba.comプレミアムサービス』へのご登録が必要となります。『netkeiba.comプレミアムサービス』へご登録されますと、たくさんの特典をご利用いただけます。スマホ版netkeiba.comの『競馬総合チャンネル by netkeiba.com』、携帯版の『競馬総合チャンネル』では、月額コースにご登録されますと、初回から最終回までご覧いただけます。
【岩田康誠】
1974年3月12日生まれ、兵庫県出身。91年に公営・兵庫競馬から騎手デビュー。現在JRA所属の小牧騎手とは兵庫時代のライバルで、ツートップとして活躍。96年にケイエスヨシゼンでアラブ三冠達成。05年には鉄人・佐々木竹見につぐ史上2番目の早さで通算3000勝達成するなど、数々の記録を打ち立てた。06年に中央移籍。以降、07年の宝塚記念(アドマイヤムーン)、08年の安田記念(ウオッカ)など、多くのGI勝利を重ねる。12年、日本ダービーをディープブリランテで制し、悲願のダービータイトルを手にした。
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