早朝起きて窓の外を見る。
雪だ。積もっていた。しんしんと降っている。
着替えて持っていくものを用意。まずは車の雪を下ろしに行った。
相方のと2台。戻ってエンジンあったまるまでもう一度準備。
5時半頃家を出た。
道路は真っ白。タイヤのあともない。道幅がわからない状態で国道へ出た。
国道はかろうじてタイヤ痕があるので道がなんとなくわかった。
交通量も少ないがあった。
平均50キロ方60キロで走行。対向車の地吹雪で時たま前が見えなくなった。
フロントガラスには雪がどんどん迫ってくる。
国道だが外灯がないので頼りになるのはタイヤ痕と道路幅を示す反射灯。
空港にたどり着けるのか不安が募った。
国道を抜け何とか高速に入った。
高速は多少楽だった。
でも、道路は除雪されておらず慎重にならざるを得ない。
空港へは7時半前に着いた。
駐車場へ車を入れて上着を着替える。髭を剃る。
かばんから財布、カメラなどを取り出そうとした時、異変に気づいた。
ない。用意したものがない。家に忘れてきたのだ。
出る前に持っていくものをチェック。
そしてかばんから出した。そのとき思った。これらをかばんに入れて車の中で取り出せばいいのだ、そうしよう、と。
思っただけで実行してなかったのだ。
入れたつもりで出発してた。
あわただしかったわけではないが、心に余裕がなかったんでしょう。
意気消沈。ついてない。
落ち込んだ。
飛行機欠航すれば行かなくていい。
そんなことも考えた。
知人と合流してお金借りた。
チケットも立て替えてももらった。
唯一あったJAカードも朝9時からしか使えんかった。
落ち込んだまま搭乗手続き。
席に座ったら席は重鎮2人にはさまれた。
緊張や。。
8時フライトが40分遅れで出発。
伊丹には10時40分頃到着した。
間に合うのか。
結局タクシーで競馬場へ行った。
30分弱で到着。4020円のところ20円おまけしてもらった。
まだ4Rのパドックをやっていた。
どこで見届けるか考えて記者席パドックに決めた。
11時45分。出てきた。
パドックには横断幕がひとつ。
ちょっとさびしい。
人もまばらだ。昼休みだからしょうがない、土曜日だし。
4週回って馬場入りと聞いていたので3週あたりでスタンド前に移動した。
ウイナーズサークルは人が集まっていた。
最初はサークルの埒で見ていた。
地下道から登場して芝コースへ入った。
ここでは走りが見れないと思い、一般席の椅子に上がって見た。
外埒沿いをゆっくりとあるいて4コーナー直線へ移動。
ゆっくりとキャンターに入った。
この頃になると外埒沿いに人が集まり始めた。
場内アナウンスも始まった。
最後のキャンターは久しぶりの芝コースでのキャンター。
思い出の初重賞制覇の地だ。
BGMはコンドルは飛んでいく。父エルコンドルパサーにちなんだ曲だ。
ゴール前を通り過ぎ1コーナーまで流した。
馬を止めてもどってくるとき、一瞬立ち止まり競馬場の風景を見いていた。
何かを思い出していたのだろうか。勝手な想像をした。
馬場で関係者と記念撮影。
自分は参加しないがこれはいつものこと。
今までと同じように見守った。
騎手、調教師ら関係者が紹介されて台に上った。
ここで戦跡の紹介があった。
ターフビジョンに映し出される栄光の数々。
どれも思い出深い。
走馬灯のように当時の思い出がよみがえった。
調教師、騎手にインタビューがあった。
愛馬に対する思いが伝わってきた。
とくに調教師は7年にわたり付き合ったんだから思い出は数知れない。
2歳でラジ短を制しクラシックへ、そこからの挫折、3歳秋にダートへ変更して真価発揮、まだやれると思った。そのときが一番印象に残ってるといった。
騎手は乗り味の良い馬、乗ってて楽しかった。今日はその感触を味わった。国内で頂点に多って、世界で打ちのめされた、こんなに長く乗って勝たせてもらった馬はいない、子供も楽しみ。そんなことをいっていた。
クラブの代表はjcダートが最後と思ったが引退式でもう一度雄姿を見せられて嬉しい、クラブ牧場でバックアップする。
そんなことをいっていた。
何より嬉しかったのはファンの声だ。
かっこいい、最後に見れた嬉しい、ありがとう、
いろいろな声が耳に入った。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
やっぱり、ファンあっての競馬。
ファンに支持されてこそ認められると思った。
そういう馬に関われて幸せな気持ちだ。
いろいろあったが、感慨深い一日になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿