ダートG1・9勝(Jpn1含む)を挙げたヴァーミリアンが、12日に疝痛(せんつう)のため、この世を去った。セン馬で、22歳だった。

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18年前、まだまだ若かった私に、担当者を通じて仕事ぶりを教えてくれた一頭だった。

「鮮やかな朱色」という意味の馬名とは対極の、真っ黒な馬体だった。迫力ある馬体が心を許した(ように見えた)のが担当の久保卓也助手だった。昔ながらの職人気質。自身の体もバキバキに仕上げ、漆黒の馬体にまたがる姿は、近寄りがたかった。

その仕事ぶりは実に丁寧で、馬への愛にあふれていた。凡事徹底は当然。馬房や、その前の荷物置き場はいつも整頓されていた。1、2カ月に1度は、荷物や手入れの道具をすべて天日にさらして虫干し。「こうしたほうが気持ちええやろ」と笑っていた。管理した石坂調教師は当時「ここまでやれるスタッフはなかなかいない」と信頼を置いていた。洗い場や馬房での担当馬は、いつも目をトロンとさせてリラックスしていた。取材はいつも馬をなでながら。まるで代弁しているよう。自分が馬主になったら、こんな人に愛馬の面倒を見てほしいと思ったものだ。

2010年、競走馬登録を抹消し栗東トレセンを退厩した。それが久保助手との別れの時。いつもは淡々と馬運車に乗り込むヴァーミリアンが、立ち止まって大きくいなないたという。別れの悲しさからだ、思えるのも久保さんとの信頼関係を見ていれば当然だった。プロフェッショナルな仕事ぶりを見せてもらえたのは財産になっている。【元中央競馬担当=高橋悟史】