http://prc.jp/2015dubai/gentildonna.html
石坂正(いしざかせい)
1950年12月24日生まれ。佐賀県出身。1979年に内藤繁春厩舎所属の厩務員となり、翌年調教助手となる。1982年に橋口弘次郎厩舎へ移籍。1997年調教師免許取得し、1998年栗東で厩舎を開業。主な管理馬にはダイタクヤマト、ヴァーミリアン、ジェンティルドンナなど活躍馬多数。通算成績は4039戦523勝。(2015年3月9日現在)
2013年のドバイシーマクラシック。イスラムの国ドバイに馬券の発売はないが、もしもかの地で賭事が認められていたのなら、ジェンティルドンナは大本命に推されていたことだろう。なにしろ前年、凱旋門賞の実質的な勝ち馬である三冠馬オルフェーヴルを3歳牝馬の身でありながら敢然と負かしてしまったのだから―――。
ライバルのシャレータに騎乗するC.ルメール騎手はレース前、「ジェンティルドンナはレーシングマシーン。彼女を負かすことは簡単なことではないよ」と各国のメディアに向けて話していた。周囲の世界制覇への期待は発走が近づくにつれて高まる。しかしこの時、現地入りした伯楽の眼にはいつもと違う愛馬の様子が映っていたという。
「すごく気を使っていて、おとなしくて。初めての飛行機輸送もあるし、環境の変化に戸惑っているようでした」
海外初挑戦のレースは充分健闘したが、アイルランドから遠征してきた強豪セントニコラスアビーの2着に敗れる。
「印象としてはただ付いてまわっただけ。レベルは全然違うけれども、新馬戦のときのように競馬に対する気持ちが少なかったように感じました。初のナイター競馬。レースの直前まで検疫厩舎にいて、日本だったら夜の飼葉を食べて寝ようという時間。レースへの心構えが出来ていなかったようでした。脚力や能力が高いから2着まで来られたけど、実感として、初回のドバイの時はアウェイという言葉を感じさせられましたね」
帰国後のジェンティルドンナは宝塚記念3着、天皇賞(秋)2着と安定したレース振りで、競走馬としての資質の高さを示す。英国の名手R.ムーア騎手と初コンビとなったジャパンCはレース史上初の連覇を達成。名牝、というよりは名馬―――もはやそのことに異論を挟むものはいなかった。その後陣営は有馬記念を回避し、2度目のドバイ遠征へ照準を定めていく。ジャパンCから4カ月ぶりのぶっつけ本番で挑んだ前年との違いは前哨戦としてGⅡの京都記念を挟むローテーションだった。
「再挑戦は前年2着の時から視野に入れていました。(京都記念を使ったのは)3歳時にジャパンCを勝った時は3戦目でしたし、1回使った方がもっといいのかなという思い。しかし本心を言えば京都記念は軽く勝ってドバイに行こうという、甘い考えを持っていました。なんであんなこと(6着)になったのだろうと今でも思いますけど、あのような競馬をしたら一般的に“終わった”と言われる。結果はショッキングだったけど、でもあの敗戦でドバイ遠征を止めるなんてできるか、と思っていました」
そうして迎えた2014年のドバイシーマクラシック。京都記念からの中間は併せ馬を何本も消化し、角馬場での乗り運動も新たなメニューに加えるなどそれまで以上に負荷をかけた。 「現地に着いてからは、ジェンティルドンナ自身が2度目(の遠征)ということを分かっていることが伝わってくるし、様子を見て安心しました。ジェンティル自身も力を出せる、と思っていたと思う。スタッフも、オーナーサイドも私自身も、絶対勝つんだという気持ちでしたね。勝てるじゃなくて、ドバイシーマクラシックを勝つんだという気持ちでした」
レースは実にジェンティルドンナらしい勝ち方だった。日本の貴婦人が2年目のドバイで見せたのは、私たちの心を揺さぶり続けた根性の走りだ。勝負処のインで周囲の馬に囲まれ進路がふさがる大ピンチ。前が壁になるが、ひるむことなく飛ぶように外へ出ると加速を開始。いつもクールで鉄仮面と称されるR.ムーア騎手の歓喜の表情がこの牝馬の真価を物語っていた。
「直線を向いて苦しい位置取りになったけれど、私はそこから抜け出してこられると思った。あんな遠いところに行って、あれだけの競馬をしてくれて…。すごく感動したし、ジェンティルドンナは素晴らしいなと改めて思いました。この馬はこんなに力があるんだと、そういうところを世界に見せてくれたことがいちばん嬉しかったです」
記憶に新しい感動のエンディングとなった引退レースの有馬記念を飾り、ジェンティルドンナは昨年2年振り2度目のJRA賞年度代表馬に輝いた。言うまでもなく、ドバイシーマクラシックの走りも高く評価されての投票結果だろう。生まれ故郷の北海道安平町で特別栄誉賞も受賞するなどこの冬は表彰ラッシュが続いた。現在はノーザンファームで健やかな繁殖生活に入り、初年度の交配相手はキングカメハメハが予定されている。
3月となり、今年もドバイの季節がやってきた。石坂調教師はインタビューの最後に、「ジェンティルドンナと一緒に走った馬もいるから応援したいね」と話した。生暖かい春風の香りの中に、世界の舞台で戦ったジェンティルドンナの記憶が深く刻まれている。
ドバイ特集スペシャルコラム
ジェンティルドンナの“燦然と輝くドバイでの勝利”を石坂正調教師のインタビューと共に振り返る
現地に着いてからは、ジェンティルドンナ自身が2度目の遠征ということを分かっていることが伝わってくるし、スタッフも、オーナーサイドも私自身も、絶対勝つんだという気持ちでしたね。
石坂正調教師
石坂正(いしざかせい)
1950年12月24日生まれ。佐賀県出身。1979年に内藤繁春厩舎所属の厩務員となり、翌年調教助手となる。1982年に橋口弘次郎厩舎へ移籍。1997年調教師免許取得し、1998年栗東で厩舎を開業。主な管理馬にはダイタクヤマト、ヴァーミリアン、ジェンティルドンナなど活躍馬多数。通算成績は4039戦523勝。(2015年3月9日現在)
ドバイにおける日本調教馬による史上初の同日GⅠ2勝が成った昨年のドバイワールドCデー。イタリア語で貴婦人の意味を持つジェンティルドンナは芝2,410mのドバイシーマクラシックで前年2着の雪辱を見事に果たした。キャリアの中でも燦然と輝く、2年越しの挑戦で掴み取った海外GⅠ勝利である。
2011年の11月19日。ジェンティルドンナは京都競馬場でデビューした。後のGⅠ7勝馬はその3週間後、2戦目での勝ち上がりを果たしている。3歳時は史上4頭目となる牝馬三冠を達成。なかでも二冠目のオークスは、「飛ぶ」と形容された父ディープインパクトの走りを想起させる素晴らしいものだった。 「ジャパンCが終わった時点で翌年のドバイを考えました。牝馬三冠がかかっていなかったらオーナーサイドも3歳時に凱旋門賞という選択肢も考えたと思いますが、あの秋は牝馬三冠を優先することになりました。ジェンティルドンナに関しては、ヴァーミリアンと同じようにいずれ海外へ連れて行かなければならぬ馬だとずっと思っていました」と、管理した石坂正調教師は当時を振り返る。
2011年の11月19日。ジェンティルドンナは京都競馬場でデビューした。後のGⅠ7勝馬はその3週間後、2戦目での勝ち上がりを果たしている。3歳時は史上4頭目となる牝馬三冠を達成。なかでも二冠目のオークスは、「飛ぶ」と形容された父ディープインパクトの走りを想起させる素晴らしいものだった。 「ジャパンCが終わった時点で翌年のドバイを考えました。牝馬三冠がかかっていなかったらオーナーサイドも3歳時に凱旋門賞という選択肢も考えたと思いますが、あの秋は牝馬三冠を優先することになりました。ジェンティルドンナに関しては、ヴァーミリアンと同じようにいずれ海外へ連れて行かなければならぬ馬だとずっと思っていました」と、管理した石坂正調教師は当時を振り返る。
2013年のドバイシーマクラシック。イスラムの国ドバイに馬券の発売はないが、もしもかの地で賭事が認められていたのなら、ジェンティルドンナは大本命に推されていたことだろう。なにしろ前年、凱旋門賞の実質的な勝ち馬である三冠馬オルフェーヴルを3歳牝馬の身でありながら敢然と負かしてしまったのだから―――。
ライバルのシャレータに騎乗するC.ルメール騎手はレース前、「ジェンティルドンナはレーシングマシーン。彼女を負かすことは簡単なことではないよ」と各国のメディアに向けて話していた。周囲の世界制覇への期待は発走が近づくにつれて高まる。しかしこの時、現地入りした伯楽の眼にはいつもと違う愛馬の様子が映っていたという。
「すごく気を使っていて、おとなしくて。初めての飛行機輸送もあるし、環境の変化に戸惑っているようでした」
海外初挑戦のレースは充分健闘したが、アイルランドから遠征してきた強豪セントニコラスアビーの2着に敗れる。
「印象としてはただ付いてまわっただけ。レベルは全然違うけれども、新馬戦のときのように競馬に対する気持ちが少なかったように感じました。初のナイター競馬。レースの直前まで検疫厩舎にいて、日本だったら夜の飼葉を食べて寝ようという時間。レースへの心構えが出来ていなかったようでした。脚力や能力が高いから2着まで来られたけど、実感として、初回のドバイの時はアウェイという言葉を感じさせられましたね」
帰国後のジェンティルドンナは宝塚記念3着、天皇賞(秋)2着と安定したレース振りで、競走馬としての資質の高さを示す。英国の名手R.ムーア騎手と初コンビとなったジャパンCはレース史上初の連覇を達成。名牝、というよりは名馬―――もはやそのことに異論を挟むものはいなかった。その後陣営は有馬記念を回避し、2度目のドバイ遠征へ照準を定めていく。ジャパンCから4カ月ぶりのぶっつけ本番で挑んだ前年との違いは前哨戦としてGⅡの京都記念を挟むローテーションだった。
「再挑戦は前年2着の時から視野に入れていました。(京都記念を使ったのは)3歳時にジャパンCを勝った時は3戦目でしたし、1回使った方がもっといいのかなという思い。しかし本心を言えば京都記念は軽く勝ってドバイに行こうという、甘い考えを持っていました。なんであんなこと(6着)になったのだろうと今でも思いますけど、あのような競馬をしたら一般的に“終わった”と言われる。結果はショッキングだったけど、でもあの敗戦でドバイ遠征を止めるなんてできるか、と思っていました」
そうして迎えた2014年のドバイシーマクラシック。京都記念からの中間は併せ馬を何本も消化し、角馬場での乗り運動も新たなメニューに加えるなどそれまで以上に負荷をかけた。 「現地に着いてからは、ジェンティルドンナ自身が2度目(の遠征)ということを分かっていることが伝わってくるし、様子を見て安心しました。ジェンティル自身も力を出せる、と思っていたと思う。スタッフも、オーナーサイドも私自身も、絶対勝つんだという気持ちでしたね。勝てるじゃなくて、ドバイシーマクラシックを勝つんだという気持ちでした」
レースは実にジェンティルドンナらしい勝ち方だった。日本の貴婦人が2年目のドバイで見せたのは、私たちの心を揺さぶり続けた根性の走りだ。勝負処のインで周囲の馬に囲まれ進路がふさがる大ピンチ。前が壁になるが、ひるむことなく飛ぶように外へ出ると加速を開始。いつもクールで鉄仮面と称されるR.ムーア騎手の歓喜の表情がこの牝馬の真価を物語っていた。
「直線を向いて苦しい位置取りになったけれど、私はそこから抜け出してこられると思った。あんな遠いところに行って、あれだけの競馬をしてくれて…。すごく感動したし、ジェンティルドンナは素晴らしいなと改めて思いました。この馬はこんなに力があるんだと、そういうところを世界に見せてくれたことがいちばん嬉しかったです」
記憶に新しい感動のエンディングとなった引退レースの有馬記念を飾り、ジェンティルドンナは昨年2年振り2度目のJRA賞年度代表馬に輝いた。言うまでもなく、ドバイシーマクラシックの走りも高く評価されての投票結果だろう。生まれ故郷の北海道安平町で特別栄誉賞も受賞するなどこの冬は表彰ラッシュが続いた。現在はノーザンファームで健やかな繁殖生活に入り、初年度の交配相手はキングカメハメハが予定されている。
3月となり、今年もドバイの季節がやってきた。石坂調教師はインタビューの最後に、「ジェンティルドンナと一緒に走った馬もいるから応援したいね」と話した。生暖かい春風の香りの中に、世界の舞台で戦ったジェンティルドンナの記憶が深く刻まれている。
(沢田康文=構成・文)